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むなかた遺跡マップ
びょうどうじせといせき
平等寺瀬戸遺跡
  • 特徴
  • 内 容:古墳
  • 時 代:古墳時代
  • 所在地:福岡県宗像市平等寺
現在の平等寺瀬戸遺跡

 平等寺瀬戸遺跡は宗像市東部、城山の麓に位置し、標高40m前後の丘陵上にある古墳時代(約1400年前)の遺跡です。この遺跡からは円墳2基、長さ1m 前後の小規模な埋葬部をもつ小型石室墓5基、竪穴を掘って埋葬後に木の蓋をし、その上に石を積み上げた積石土壙墓1基の合計8基の古墳が見つかりました。

 付近には平等寺原遺跡や平等寺向原遺跡があり、この一帯には100基を超す古墳が集中しています。 ところが、平等寺瀬戸遺跡は広い墓域をわずか2基の円墳と数基の小墳墓が独占していることから、この円墳には周辺の古墳に葬られた人々を束ねた地域首長が葬られたと考えられます。

発掘調査の風景
豪華な副葬品

 2基の円墳のうち、西側の1号墳からは多くの豪華な遺物が出土しました。 出土遺物には武器、馬具、工具、装身具があります。特に馬鈴は高さ12cm、径8cmあり、国内最大級の大きさです。

1号墳出土の大型馬鈴
“ 石棚” をもつ石室

 平等寺瀬戸遺跡1号墳は、石室内に石棚といわれる特殊な構造をもっています。この石棚をもつ古墳として、宗像市内では他に相原古墳があり、 九州内では浮羽市や八女市、宇城市の周辺地域に集中しています。

 これらの古墳が造られたのは、527年に九州の豪族磐井氏が起こした大和政権に対する反乱である 「磐井の乱」後の時期であることから、磐井の勢力が衰退したのち、大和政権に同調した地域首長たちの墳墓という説があります。他にも、近畿地方に石棚をもつ古墳があるため、 畿内から九州に来た有力氏族の古墳という見方もあります。

石室奥壁の石棚
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