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むなかた遺跡マップ
あさまちたけしげいせき
朝町竹重遺跡
  • 特徴
  • 所在地:福岡県宗像市朝町2464-1・2ほか(朝野中央公園内)
  • 主な時代:弥生時代中期(約2,200~2,000年前)
  • 古墳時代中期~後期(約1,600~1,400年前)
  • 指定日:平成4年6月30日
弥生時代の調査

 朝町竹重遺跡の発掘調査では丘陵の尾根や斜面に150基以上の土壙墓群が見つかりました。 墓は弥生時代中期を中心に、弥生時代前期の終わり頃から造られ始め、後期のものまで確認されています。

 土壙墓は調査区全体に広がっていますが、密集する所とまばらなところがあります。密集する所では、以前に造られたものを部分的に壊して、

 新しく土壙墓を造っていることから、墓地として利用する区画を決めて、そこからはみ出さないようにしていたと考えられます。重なり合って造られた土壙墓の調査では、 それぞれに小規模ながら盛土が存在していたことも分かりました。当時は墓域のあちこちに小山がある風景だったと考えられます。

 朝町竹重遺跡調査では色々な構造の土壙墓が見つかりましたが、木棺を組み立てたと明瞭にわかるものもあります(SK62)。 この墓は、床面に細長い溝を掘り、その溝に板材を立てることで木棺を組み立てていたことが分かりました。

 調査では、朝町竹重遺跡以外ではほとんど見つかっていない珍しい構造をした土壙墓が見つかっています。 掘り込みの小口部に地山を削り残して突出部を設け、そこに割竹状の木蓋を載せるようにしたもの(SK52など)や、 2人を一緒に埋葬できるよう安置スペースを2体分確保したもの(SK173など)、また、その2人が親子だったかもしれないもの(SK53)もあります。

 また、有力者が葬られたと考えられる土壙墓(SK28)もあり、内部からは完形の銅戈、折れて先端部分だけが残る銅矛と小型の壺が見つかりました。 これらから、この土壙墓は弥生時代中期はじめ頃に造られたと考えられます。同じく有力者の墓と考えられる別の土壙墓(SK185)からは、小さな銅鏡(仿製内行花文鏡) とガラス玉が1366個も見つかりました。この土壙墓は弥生時代後期に造られたと考えられます。

第1次調査区全景
古墳時代の調査

 調査では8基の古墳が見つかりました。 そのうち7基は直径10m前後の小規模な円墳で、 横穴式石室を築いていました。 横穴式石室の中には比較的古いものもありました(SO1、SO120)。これらは、石室が縦長で狭く天井が低いこと、墓道と呼ばれる石室入り口への通路がとても短く、 急な降り傾斜になっていることなどが特徴です。調査によって石室内からは鉄製品や装身具が、周溝や墓道などから須恵器や土師器が見つかりました。

ギャラリー
SK28出土青銅器
SK16出土ヤリガンナ
SK28
SK52
SO120
SK62
SK53
SK173
SK89出土壺
SK38出土壺
SK185出土ガラス玉
SK185出土銅鏡
SO120出土須恵器壺
SO120出土装身具
SO120 SO120出土鉄刀
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