自然
歴史
勝島(かつしま)は、昭和36(1961)年までは有人島でした。
島内には敷地を区画する石垣や井戸などの構造物が残され、ガラス瓶や空き缶、陶磁器など生活の痕跡が数多く残されています。
-
▲ 敷地を囲む石垣(出入口か?)
-
▲ 井戸の周りには、ガラス瓶等がそのままの状態で残されています。
-
勝島には、勝島城と呼ばれる中世の出城があったとされています。頂上はやや平坦な地形をしていて、曲輪(くるわ)や堀切といった明確な山城の痕跡は残されていません。
南側に面した島の斜面には、段々畑の痕跡を見ることができます。 -
▲ 段々畑の痕跡
参考資料:玄海町誌 p486-489、福岡県中近世城館遺跡等詳細分布調査報告書2 福岡の中近世城館跡II -筑前地域編2- 福岡県文化財調査報告書第250集 p147-148