自然
宗像北海岸に出現する
「北斗の水くみ」とは?
福岡教育大学名誉教授 平井 正則 (理博・天文学)
“肌にすこし冷たく感じる秋冷の夕べ、玄海の広々とした浜辺に起つと、海が黒く見え、遠く外洋船が行き交い、ゆっくりとした灯火の動きを目で追うと黒い海と空の境界を確かめられます。今、夕日の照りが微かに残る西空に、ふと見上げると巨大な天の柄杓(ひしゃく)が杓(コップ)を、先頭に続いて柄が、ゆっくりと、ゆっくりと降りてくるではありませんか?
きらきらと輝く小さな星の七つを結んでできる天の柄杓(ひしゃく)は、雄大で、黒い海にむかって、ゆっくりと降りてきます。まるで、天の柄杓が水をくむかのように見える、「北斗の水くみ」の出現です。“
静かに降りてきて、柄杓が傾いて地平に近づく姿は、まるで、柄杓が巨大に見えます。やがて、杓底は水平線をゆっくり滑るように(右)東に進み、まるで見たこともない印象的な光景となります。それは見る人の心に宇宙の壮大なドラマを刻み込むことになるのです。“
<観察メモ>なぜ、水平線で大きくみえる?
目に入る空の景色には大きさの基準がなく、大きさが確かめられません。
人は無意識に、目に入った景色を基準にして、風景の大きさ(見ている空の大きさ)を判断します。たとえば、江戸時代の武士の教科書には「月」は天に高く昇ると干からびて小さくなると教えています。
地平線に近づく「北斗七星」、つまり「天の柄杓」は地平に近づき、景色と同じ視野に入ると「巨大な柄杓」に見えます。(ハリウッド映画のキングコングの仕掛けと同じです)。地平に近づき、水平線に向かって降りてきて、右(東)へ進む柄杓の姿はまさに“巨大な”柄杓に感じます。
<観察メモ>古代人から現代人まで
ヨーロッパの巨石時代、アジア・中国の巨石文化・アメリカ先住民族の洞窟壁に七つの星のマークや印が良く見つかります。字の生まれる前から人々は北の空の星たちに注目したのでしょう。有史来、航海では星の位置が重要でした。また、日本の港には多く住吉神社があり、それはオリオン三星を航海の目印とした証拠を示すのです。
もちろん、ヨーロッパ人が新世界に乗り出し時、星座は重要な道しるべ(羅針盤)となりました。北の空は夏の星座のように華やかではありませんが、北の不動の星「北極星」、北斗七星の形やカシオペアのダブルの形が注目されてきました。
最近の小学生にアンケートで、太陽はどの方角から昇りますか?と聞きますと小学校3年生までは「東から」と答える児童は少ない。私たち文明人の生活では電灯や時計を使って生活しますから、「東から日が昇って空が明るくなる」なんていうのは生活に必要ないのです。ただ、これが、四年生以降では「日は東から昇る」と100点になりますし、北斗七星の形やカシオペア座のダブル形をつかって、北極星を探すことができるようになります。つまり、現代、天の姿は「学習」される世界なのです。
<観察メモ>古代中国の北斗
北の空の七つの星(北斗七星)の並びは特徴的で、ほとんど二等星の四つが四角の箱を形作り、三つ星は柄(杓)に見えます。
中国春秋時代(紀元前800年頃)の人、孔子は北極星を「極星」として、彼の哲学を展開しました。後漢の時代には黄帝が庶民の生活を検分するための北斗七星のコップを馬車として、柄杓の柄が領土を“ぐるっと”指す(年周運動)ために、皇帝の領土を巡幸するという姿で石刻されました。
※左右反転
日本でも北九州黒崎の賭場で負けた遊び人が洞海湾を若松に帰る手漕ぎ船の上で見上げた北の空にかかる七つ星は、杓の星(コップ)がサイコロの四つの賽の目(合)に、残り三つの星は三つの賽の目(半)に見えたといいます。
また、ヨーロッパ、アメリカでは北斗七星をお母さんの立つ台所にかけた大きな鍋”Big Dipper”と子供たちに教えます。
<観察メモ>宇宙時計の北斗七星
北斗七星(天の柄杓)の動き(日周運動)を見ると、まるで雨傘を回すとき、内側から見ると、傘の柄の先(中心)が北極星、内面に北斗七星の絵が描いてあるとしましょう。傘を左周りに回すと北斗七星は柄を中心に“ぐるっと”回ります。これは私たちが北に北極星をみて北斗七星の動きをみるのと同じです。北斗七星はこの1日の1回転(日周運動)と1日の回転が僅かに出発点が進む(年周運動)それは、実は宇宙の時計なのです。
中国少数民族彜(い)族はこの動きを利用して一年を測る暦をつくり、アジアで優秀な暦を作った中国人の暦文化に貢献した主張しています。
詳しくみると、例えば2月初旬のある日、午後7時半ごろ北極星を中心に北斗七星は左(北)に高くなり、夜半1時半(6時間後)には一番高い位置、やがて、朝7時半(12時間後)には左(西)に、やがて、午後1時半(18時間後)には、下(南)にきて、翌日の午後7時半(24時間後)にはもとの位置(右)に戻ります。実は正確には4分ほど早くなって、7時26分もどるのです。(ほぼ一周は23時間56分です)。
1日のほぼ半分は昼ですから、私たちには北斗七星の半分は昼には見えません。1周のうち半分、ここでは東に立った柄杓が西で杓(コップ)を下にしたところまで昼ですから、2月の夜では上半周がみえるのです。
<観察メモ>ゴッホの名画
まず、有名なゴッホが晩年、精神病院から退院した時期描いたサンレミの有名な絵「ローヌ川の星月夜」!を知っていますか?美術評論家は手前の波止場の老夫婦の姿には謎が?といいます。私はゴッホは天才的な鋭い観察者だと主張していて、天文学者でなければ気づかない!のですが、ゴッホの描く星は空のシーイングによるハローと核が見事に描かれているのです。美術の先生が注目するぐるぐるの星でなく、空気(大気)のシーイングにより揺れる星の像が見事に描かれていると思います。
まあ、それはいいとして、絵をよく見て下さい。北斗が髙いですね!サンレミ、ロワール川の街角に立った時にみえる北の空は緯度43°43‘ですから、日本では北海道根室の北あたりの北斗七星です。対岸に海と町(川の縁)が描かれていますが、到底、水くみほど北斗七星は降りてきません!
実は、この北斗七星の見える位置や動きについて、面白い発見をしたのです。北極星を回る北斗七星が南側(下)の半周に注意すると北極星と地平線の間を西側から北極星の下をくぐって東に抜けるのです。
もし、水平線なら“天の柄杓”(北斗七星)は水平線(海か湖)で“水をくむ”ように見えます。(この発想は私たちの文化によっています。)これは、現代の神話、ではないでしょうか?
<観察メモ>世界でも宗像でしか見えない“北斗の水くみ”
世界広しといえど北極星と水平線の狭い空域とは、九州北岸(宗像北部海岸など)にしかないことが分かりました。北に海や湖がある景色でなければ「水くみ」形にはなりません。柄杓の底が水平線になる場所を調べてみるとなんと、九州北海岸になるではありませんか!東京では柄杓は高い空で北極星の下(南)を過ぎ、たとえ、南に海が見えても「みずくみ」とはなりません!南に行くと、鹿児島では柄杓はじゃぶんと海中に入って柄の部分さえ海中にかくれてしまうのです。
世界地図を探すと韓国チェジュ島の北岸が良い条件に合いそうですが、近くに空港もあり、夜空の明かるくて、うまく、柄杓の水くみにみえるのでしょうか?確かめていません。
<観察メモ>北斗のみずくみが意味するもの(結論)
天の柄杓が北部九州海岸で観察されるとは現代のロマン(神話)ではないかと思っています。
なぜなら、人がいて、天の柄杓を想い、天に関心をむけるのは人間なのですから。現代の宇宙科学でハビタルゾーンという生命の存在をはぐくむ条件をもつ場所に宇宙人を探しています。その場合、ひとつの条件は水の存在です。
この「水くみ」の寓話は現代人の忘れていた宇宙・自然に触れ、確認し、見返す良い機会として、幾世代も見続けてほしいと考えます。
終わり