桜京古墳は、市内を流れる釣川河口の左岸丘陵(標高約45m)に位置する古墳で、前方後円墳とよばれる形をしています。 墳丘の全長は39m、後円部には古墳の主が埋葬されるための横穴式石室が築かれ、その玄室には石屋形 (奥壁にはめ込まれた板石を長さ約1.7mの石柱で支えた埋葬施設)がつくりつけられています。 石屋形には彩色と線刻で三角文が描かれ、全国でも約700基しか見つかっていない装飾古墳のひとつです。
- 特徴
- 前方後円墳(全長約39メートル)
- 標高約45メートルの山の尾根に立地
- 北西に開口する横穴式石室(全長約8.2メートル)
- 奥壁に石屋形風の石棚を設置
- 奥壁の腰石と石棚に連続三角文のみを赤、白、緑の3色で表現
(線刻を併用) - 時期は6世紀後半代に要約されます(右図参照)。
桜京古墳の様子を実際に動かしながらご覧いただけます。パソコンの方はマウスで図を上下左右にドラッグしてみてください。 スマートフォンの方は図を指で見たい方向にフリックしてみてください。
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桜京古墳の内部 - Spherical Image - RICOH THETA
昭和45年10月、宗像郡内の遺跡分布図づくりのため、旧宗像町や旧玄海町、旧津屋崎町の山に入り古墳を 中心とした遺跡の分布調査を行っていた東海大学附属第五高校(現 東海大学付属福岡高等学校)の考古学研究会が、 昭和46年4月から牟田尻地区の西方の丘陵に点在する古墳群の分布調査を数回に渡り行った結果、 丘陵の尾根上に60基以上の円墳がいくつかのグループを成して分布していることや石室が開口し玄室に石屋形が 設けられた前方後円墳と墳頂部が陥没した前方後円墳の2基を確認しました。
同年10月23日、東海大学附属第五高校 考古学研究会の教員2名、生徒2名(計4名)が、石室が開口している前方後円墳の 石室内に入り、写真撮影と計測を行ったところ、玄室石屋形の奥壁の一枚石と石棚を支える2本の石柱に、三角文の線刻と 青や赤等で彩色が施されているものを発見しました。
桜京古墳は、宗像市牟田尻2019番地 牟田尻桜京古墳群内に所在し、釣川下流左岸の丘陵上、標高約45mに立地する装飾古墳です。
同一丘陵上には牟田尻スイラ古墳群や牟田尻池田古墳群、牟田尻中浦古墳群が分布し、消減した古墳も含め前方後円墳4基、
円墳84基の計88基が確認されています。
また、南方には牟田尻片峰古墳群や牟田尻下浦古墳群、牟田尻新開古墳群、牟田尻峠古墳群、牟田尻小浦古墳群など、
約200基の古墳からなる牟田尻古墳群が広がっています。
一連の古墳群の西側には、宗像君一族の奥津城として知られる国指定史跡の津屋崎古墳群(福津市)が広がっており、 県下有数の古墳密集地域となっています。 北側に隣接している神湊地区では古墳時代の貝塚である浜宮貝塚や製塩土器が確認され、同時期から古代にかけて 製塩が行われた神湊上方遺跡など古墳時代の生業を示す遺跡や神湊上野古墳群などが分布しています。
このように宗像市西側沿岸部は、古墳時代を中心に人々の盛んな活動を示す遺跡が多く分布しています。 また、宗像市内で確認されている古墳の約10%といった多くの古墳が分布していることから、 この地域に沿岸部を統括した有力集団が存在したことを示しています。牟田尻古墳群の被葬者は宗像市一円を統括し、 沖ノ島祭記との関係が伺われる宗像君一族の動向を考える上でも重要な存在であったものと考えられています。