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自然

自然と文化が織りなすこの宗像を紐解きます

自然と産業

宗像市の気候

 宗像市は九州北部の日本海側の気候として区分されています。
 年平均気温が15~16℃以下でやや低く、とくに1月の平均気温は九州の他の地域より低温になっています。また、年間の降水量は1400mmから1500mmくらいしかありません。

 小笠原気団が発達する夏は、大気が安定して晴天が続きます。
 このため、低気圧がなかなか近づくことができず、雨を降らせる雲が発達しません。あちらこちらにため池が見られるのは、この時期を乗り切るための昔からの工夫です。

 シベリア気団が発達して吹き出す冬の季節風のため、日本海の水蒸気が雲へとすがたを変える場所に宗像市があるのですが、まわりの山々が低い要因も含め、大量の雨を降らせるまでの厚い雲が発達しないのです。

現在の自然のすがた

 現在の宗像市で見られる木々や植物は、地形や標高によって異なっています。

 水田や住宅が立つ平野部では、まとまった木々は少なく、山麓緩斜面や標高の低い丘陵には畑や果樹園が、大型住宅団地などでは点々と木々が存在しています。

 標高の高い丘陵や山地には、スギやヒノキなどの樹林が多く見られ、次に照葉樹の自然林や二次林、アカマツやコナラの林、竹林、若い広葉樹林などが一緒に茂っています。

 谷の出口などには、ため池が多く、釣川のまわりには湿地を好む植物が生えています。また、農道や河川の土手には、背の高い草原が線のようにのびています。

二次林:人的・自然災害でなくなった所に、自然に再生した森林のこと

第三次産業がさかんな宗像市

 昭和中頃以降の産業の高度化は、商業(主に小売業)とサービス業など第三次産業就業者が大きく増加したからです。第三次産業の就業者の約42%を占めるサービス業就業者数は、年間平均で約22%と増え続けていています。

 同じく、卸・小売商業の就業者(主に小売業)数は、昭和中頃以降も同じように増えていました。特に昭和45年(1970)の宗像バイパスの完成以降は、年間平均で約13%も増えていました。しかし、昭和の後期になるとそれは鈍り、その増加率は半減しています。

 その他、運輸・通信、公務および金融・保険業のうち、特に金融・保険業の急激な成長とともに、不動産への就業者の増加が注目されていました。このようなサービス経済化への流れは、宗像市が衛星都市へ変化していったことを物語っています。

時代と産業の移り変わり

 昭和30年(1955年)では総就業人口の約60%が第一次産業に従事していて、第三次産業(約27%)と第二次産業(約13%)就業数を大きく上回っています。これは当時、宗像市のほとんどが農村であったといえます。

 しかし、近年では第三次産業や第二次産業の就業者数が第一次産業の就業者数を超えるようになりました。これは、大型団地「日の里」や「自由ヶ丘」団地などへのサラリーマンの流入が増えて、宗像市が振興ベッドタウンと呼ばれていた時期でもあります。

 そして現在の平成では、第一次産業の就業率が4.3%と県平均をも下回るまでに低下する一方で、第三次産業の就業率が県平均を上回る71.0%と突出しています。

 このような産業構造の変化は、福岡や北九州など都市化の影響を強く受けたのではないかと考えられています。これは福岡と北九州の二大都市圏への通勤者が多く住む衛星都市※1への成長を物語っています。

衛星都市:夜間の人口が昼間の人口を上回る都市のこと。ここでいう衛星都市は、本来イギリスなどで考えられている田園都市を理想とする衛星都市ではありません。

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