むなかたが集まる
電子データベース
電子データベース
増福院文書
指定 | 市 |
---|---|
指定種別 | 市指定有形文化財 |
時代 | 室町時代後期~明治時代 |
説明
1989年説明板設置
増福院は、山田地蔵尊とも呼ばれ、創建の年代や名称変更の時期などについては諸説があって確定し難いが、ほぼ天文末年ごろ(1550年代)、時の宗像大宮司氏貞が、その下臣によって謀殺された先代氏男の妻菊姫とその母(先々代正氏の妻)及び侍女4人の怨霊を鎮めるため創建した曹洞宗の寺院である。
文書は増福院個有のものとしては貼交巻子装の永禄2年(1559)から天正16年(1587)に至る判物類9点と、延宝9年(1681)の祭田記(貝原篤信撰)のみで、他は信者旧蔵のもので後に増福院ゆかりの品として同寺に寄進されたものである。いずれも巻子装が施されており、寄進されたものでも添書及び箱書によってその経緯が明白である。
増福院創建の由緒はいうまでもなく、同寺に対する信仰の在り方、あるいは中世末期の宗像などを知る貴重な資料である。
※増福院所有