海が高くなると海岸線が陸側に入り組み、市役所の近くまで入り江になっていました。
この現象を海進現象といいます。日本付近の海進現象は、縄文時代前期に多く見られましたので、「縄文海進」とも呼ばれています。
その入り江には、葦(アシ)と呼ばれる湿地を好む植物が生い茂り、微生物をはじめとする多くの生物が生息していたと考えられています。
宗像市の中でもっとも高い所は、孔大寺山(499m)から南東に伸びる尾根の北端の場所で463mと、あまり高くありません。
その一方でもっとも低い所は、西北端の釣川流域に広がる水田地帯で3mと、現在よりも暖かかった約6000年前の縄文海進の頃は、海水が入り込み、入り江になっていた所にあたります。
ちなみに、中世建てられた宗像氏などの山城は369m、許斐山は271mあります。
全体的に緩やかな地形になっている宗像市は、今より暖かかった約6000年前の縄文時代のころには、現在の海面よりも数メートルも高くなっていると考えられています。
海が高くなると海岸線が陸側に入り組み、市役所の近くまで入り江になっていました。
この現象を海進現象といいます。日本付近の海進現象は、縄文時代前期に多く見られましたので、「縄文海進」とも呼ばれています。
その入り江には、葦(アシ)と呼ばれる湿地を好む植物が生い茂り、微生物をはじめとする多くの生物が生息していたと考えられています。
河東地区には、低平な台地に緩やかで起伏がある侵食小起伏地形が見られます。
この地形は、山地が地殻変動の影響をほとんど受けることなく安定し、雨や風などの侵食作用が長い間継続することで平坦化され、なだらかな起伏になった地形のことです。
地殻変動が激しい日本列島の中で、河東地区のように低い所に侵食小起伏地形のあるケースは極めて珍しいといわれています。
宗像市では、山林がもっとも広く、次に田、最後に住宅というようになっていますが、その住宅地のほとんどは一戸建住宅が建つ第一種住居専用地域となっています。
中央部から北西部にかけて広がる釣川流域の沖積低地(ちゅうせきていち)は、主に水田を中心とする農業用地として利用されていて、赤間や東郷などのように多くの人々が集まる地域もあります。
そしてその周辺に広がる低い丘陵地が、住宅地や果樹・樹園地として開発されていますが、機械を製造する工場などがほとんど無いために、豊かな自然が多く残っていて、近年開かれた住宅地の周りにものどかな田園風景が広がっています。